三悦は創業100周年を迎えました

樋田 浩三社長に聞く

―――創業100周年の節目を迎えました。

「創業者である祖父・勇氏の代から続く当社が、私の代で無事100年目を迎えることとなり、安心しているのが率直な思いだ。」

―――経営理念をお聞かせ下さい。

「経営理念は、会社に関係する皆様の心をつかむ経営を実践する『三者互悦』の精神。お客様には安心感を、仕入れ先様には信頼感を、そして社員には達成感や充実感を提供し、お互いが手を結んで悦び合い、繁栄する企業文化の構築を狙いとしている。お客様に感動を与えられる営業を展開することがこれまでも、そしてこれからも経営のキーポイントとなるだろう。」

―――1世紀にわたる持続 的成長を実現した要因、 ターニングポイントは。

「常にお客様、仕入れ先様の目線で事業を展開し続けたことに尽きるだろう。特に2代目の父・耕平氏が戦後、弟の盛平氏とともに創業者の遺志を継ぎ、開拓者精神をもって事業拡大に注力した点が大きい。」

「また全国の特殊鋼流通の先駆けとして昭和40年代からフライス、旋盤などを置き機械加工をスタートしたことも転機と言えるだろう。当時材料問屋が加工を手掛けるということが先進的だったことから、加工業者と業務が重なるなど苦戦も多かったようだが…」

「平成元年ごろからアマダ製切断機の導入を本格化し、本社工場と加工に特化した別会社、サンエツ鋼機で切断加工を始めたことも転換点だ。富山営業所でも機械加工を再開し、定尺販売が伸び悩む中でも加工分野にシフトして販路を広げた」

―――逆境も決して少なくないと思います。印象に残る出来事はありますか。

「98年にサンエツ鋼機を吸収合併する際、人員整理の必要に迫られたことが辛い思い出として強く残っている。専務という立場で合理化を進める大変さを実感した。」

「社長就任後は2000年の東海豪雨被害が甚大だだった。当時、主に工具鋼を扱い、加工を行う大府工場(愛知県大府市)を保有していたが、事務所棟1階部分の天井まで浸水。什器類がすべて使用不能となったため同所を閉鎖し、本社への機能集約を余儀なくされた。」

「最も苦労したのは富山営業所のカムス(本社・群馬県太田市)への合併だ。当初業務ごとの協業を模索していたが、待遇面などで当社社員に不利益が生じる恐れがあったことから全面譲渡に踏み切った。元メンバーは転籍後も定着し、現在も第一線で活躍していると聞き、大変喜ばしく感じている。」

―――改めて現在の事業内容を。

「本社と長野営業所(長野県岡谷市)を拠点に大同特殊鋼、新日鉄住金などのSC材などを常時在庫し、店売りユーザー向けを中心に定尺品・切断品を販売している。商社機能を担い出荷する製品も多く、向け先は工作機械、設備関連がメーンだ。特殊鋼以外の品ぞろえ拡充も進めており、普通鋼や連鋳棒、加工部品も取り扱う。」

―――足元の課題は。

「近年若手社員が増えてきたこともあり、営業力を一段と高め、ユーザーとの関わりを深めて情報力を高めることが今後の課題だ。昨年11月の新日鉄住金・和歌山製鉄所見学会も需要家との関係強化を狙ったものだが、大同特殊鋼・知多工場を見るイベントも企画している。」

―――次の10年への方向性、ビジョンを伺いたい。

「内需縮減で定尺品需要の将来的な伸びが期待し難く、販売競争の発生でじり貧となる恐れが強い。やはり根強いニーズが残る加工分野の深掘りが不可欠となるだろう。事業領域拡大に向けて、M&Aも選択肢の一つとして視野に入れている。」

「これに加え、販売力といった基本的な機能を強化し、さらに地力を付けることも肝要。毎年6月に行う全社教育会、外部研修プログラムを通じた社員教育を一段と強化する。」

「機能強化や社員のレベルアップは、あくまでも『お客様のニーズをきめ細かく捕捉し、着実に実行する』ための方策。1世紀にわたって第一に考えてきた“ユーザー目線”を徹底し、さらなる飛躍を遂げていきた。」

100年沿革

1917年(大6) 樋田勇氏が三悦鋼材商会を創業(名古屋市熱田区金山近辺)、特殊鋼鋼材の販売を始める
1938年(昭13)

合名会社三悦商会へ改組

翌年樋田耕平氏が代表社員となる

1940年(昭15) 名古屋市瑞穂区へ移転
1960年(昭35) 三悦特殊鋼株式会社へ改組(資本金3000万円)
1964年(昭39) 富山営業所開設
1969年(昭44)

現本社所在地(名古屋市港区)に近代設備を完備した新社屋を建設

名古屋市瑞穂区牛巻町に、切断加工を主体とするサンエツ鋼機株式会社を設立

1977年(昭52) 長野出張所開設(昭和54年に営業所昇格)
1985年(昭60) IBMシステム36導入。受発注、販売、仕入れ、在庫管理をリアルタイムで行う体制を構築
1986年(昭61) 富山営業所にフライス盤、平面研削機を導入し、六面機械加工を開始
1989年(平元) 株式会社三悦へ改称、経営拡大を図る
1992年(平4) 樋田浩三現社長が入社。創業72周年記念式典をホテル花水木(三重県桑名市)で開催

1998年(平10)

子会社のサンエツ鋼機を合理化のため合併
1999年(平11) 樋田浩三氏が3代目社長に就任
2000年(平12) 大同特殊鋼特約店の佐久間特殊鋼、サハシ特殊鋼とともに「スリーエス会」発足。店売り在庫の共同運用を開始

東海豪雨発生

大府営業所が水没し、閉鎖

2003年(平15) スリーエス会、メタル便東海とともに共同運送事業スタート
2005年(平17) 富山営業所をカムスへ営業譲渡
2006年(平18) ISO9001取得
2007年(平19) 本社倉庫の耐震補強、電気設備省エネ化完了
本社事務所も省エネ設備導入
2010年(平22) 会社設立50周年
2012年(平24)

BCP対策強化、避難訓練などを行う

以後2年に1回継続実施

2014年(平26) 長野営業所(事務所、倉庫)の照明をLED化
2016年(平28)

本社新社屋完成

本社の全面耐震化が完了

2017年(平29) 3月、創業100周年を迎える

特殊鋼の普及目指し創業


創業者 樋田勇氏


二代目 樋田耕平氏

三悦は1917年(大6)、名古屋市熱田区金山近辺で樋田勇氏など3氏が個人商店「三悦鋼材商会」を創業したことに端を発する。社名には「三人が悦び繁栄できる」ような事業を進める、という願いが込められた。
当時「電気製鋼所」を設立した主要取り扱いメーカー、大同特殊鋼とは創業年がわずか1年違い。特約店として、創成期から二人三脚で当時なじみの薄かった特殊鋼の普及、販売拡大に尽力した。


三悦商会時代の集合写真

38年には合名会社三悦商会へと改称、法人化して樋田耕平氏が代表に就任した。40年に本社を名古屋市瑞穂区へ移転し業容拡大を図るものの、戦災に遭い事業は一時停滞を余儀なくされる。

時代、ニーズを切り拓き成長

戦後の混乱が続く47年(昭22)瑞穂区牛巻町に本社を新築、移転し心機一転新たなスタートを切る。樋田浩三現社長の父である2代目・耕平氏が強い開拓者精神を持ち、手押し車で構造用鋼、高速度鋼を地道に売り歩いた。耕平氏による粘り強い販路拡大の努力が、三悦の盤石な礎を築き上げたといっても過言ではない。なお、生き字引であるこの手押し車は、今も三悦本社工場で大切に保管されている。
60年には三悦特殊鋼株式会社へ改組。鋼材のさらなる販売数量アップに向けたエリア拡大に踏み切り、64年富山県に営業所を新設したことに続いて、77年には長野出張所(現営業所)を開設した。


新築時の旧本社社屋内

各種特殊鋼の定尺品販売を通じて年々売り上げ規模を拡大する一方、耕平氏は引き続き新規事業を思案していた。顧客目線を心掛け需要家の声に熱心に耳を傾け続けると、エンドユーザーの望む形状、サイズでの納品ニーズが高まっていることが分かった。
そこで現本社所在地に本拠を移した69年、切断など加工に特化したサンエツ鋼機を瑞穂区牛巻町に設け、全国の在庫問屋に先駆けて加工分野に進出した。素材販売先の加工業者と競合関係となるケースもありながら、逆境を超えてその後も加工機能を強化。富山営業所でも機械加工を手掛けることとなる。

品目拡大、協業加速で発展

時代が平成に移り89年に社名を現在の三悦に変更。特殊鋼の名を取り去ったのはエリア拡大、加工への参入に続き、特殊鋼以外の取り扱いを始め、さらなる経営拡大につなげたいという思いが込められている。99年には樋田浩三氏が社長に就任。需要家、仕入れ先、社員の三者心をつかみ、感動を与える経営を目指す「三者互悦」をモットーに新たなスタートを切った。
品ぞろえ拡充のみならず、2000年には大同特殊鋼系の地区流通佐久間特殊鋼(佐久間貞介社長)、サハシ特殊鋼(佐橋健一郎社長)と3社の頭文字を名称の由来とする「スリーエス会」を発足。店売り向け構造用鋼をサイズに応じて各社が在庫し、共同運用する業務提携関係を結んだ。
03年からメタル便東海と運送事業におけるタイアップも果たし、販売力強化とコスト削減を推進。サンエツ鋼機合併や富山営業所の譲渡、東海豪雨による大府営業所の閉鎖といった拠点再編も経ながら、徐々に現在の業容を作り上げてきた。

次の100年に向けて

永続的な成長へ、中長期的にはM&Aも視野に入れながら加工領域の拡大を目指していく考えだが、今後はまず現在の機能に磨きをかける方針。その根幹にあるのは、創業当時からの“ユーザー目線”だ。
経営方針にある「正確、奉仕、迅速」をモットーとする販売力、協力会社のネットワークも活用したニーズに応える幅広い加工対応力、安心感や信頼感を提供する人材の育成--流通としての基本的な役割を着実に果たすことに最も重きを置くことは変わらない。
その結果、三悦は今後も工作機械メーカーなどの需要家、大同特殊鋼や新日鉄住金をはじめとする仕入れ先、社員の「三者」がともに手を取り合い、悦び合い、繁栄するという創業当初からの目標を達成し続け「愛され選ばれる流通」として、今後も成長し続けていくだろう。